

ウザがられる親は、自分勝手です。
子供のことよりも、自分の気持ちが大切です。
子供のペースよりも、自分が優先です。
子供の話より、自分の話をしたがります。
子供の目より、人の目をきにしています。
どこからが自分勝手で、どこからがそうでないか
その線引きができるようになると、ウザい親から卒業できます🙄
ウザイ親と好かれる親の違い

しつこいのが嫌なのは子供も同じです。
一方的な善意で、子供からの応答がないにもかかわらず、躾のためだからと同じことを繰り返すのはストーカーとかわりません。
親も客観的に自分をみることができないと、子供からウザがられます。同じ人間として失礼です。
✅子供もひとりの人間
子供が応答しない場合、親か子供のどちらかに原因があります。
親も子供の行為や発言ばかりに目をとられて、自分自身がみえていないことがあります。なぜそんなに自分が怒っているのか、問題視しているのか、少し冷静になってみることです。パートナーに相談しみてるのもいいです。
そのうえで子供のペースを見る、子供が聞けるタイミングを親が待つことです。言い続けない、そばから離れる、そっとしておくことです。親が自分に配慮してくれている、理解してくれているとわかれば子供は親に敬意を感じます。
的を射た躾は、親から認められれているという自己肯定感につながります。
僕も仕事の現場で教育され、そう感じたことが何度もあります。
しつこさと熱心さ

ここが天下の分かれ目です。
熱心な躾けと、しつこい躾とは子供にまったく違う結果をもたらします。前者は子供に受け入れられ、後者は拒絶されます。
思いはあってもとどかないと、意味がありませんよね。
✅躾け=種まき
まず子供ありきです。子供の心が躾という種をまく土壌です。これが前提です。
心が硬くなってるなら、ほぐすことです。今はまだ種をまく時期ではないかもしれません。子供の心は今どんな状態になってるんだろうかと、意識することです。
熱心さとしつこさは、やってることは同じように見えます。しかし受け取る側はまったく違う印象を受けます。親は蒔くことではなく、実ることに熱心になるべきです。
あと大事なことは、うまく実らない種もあるということです。これはほんと大事だと思います。見合った種を蒔いてあげてください。
なんにせよ、ごり押しだと嫌われます。
手伝いと邪魔の境界線

親手伝いをしたい子供の視点からみるとわかることがあります。
子供は親の手伝いが自分にもできると思っています。自分がまだできないとは疑っていません。そしてその思いに親が応えてくれると思っています。それは子供の善意だからです。
なのに親は嫌がります。うまくできない手伝いをしてもらうのは、めんどくさいからです。子供だって善意であっても躾られることが、面倒なんです。
✅躾も、手伝いもミスすることが前提
子供に手伝ってもらうときの心構えが、躾のやくに立ちます。
ミスする前提で躾けること、時間をかけること、待つことです。この前提で子供に接すれば、ウザくて拒否されることはありません。
親も子供の善意を受け取るのがめんどくさいのだから、子供だって親の善意がめんどうにきまっています。お互い順応できないことは同じだからです。
僕も余裕がないときは手伝ってほしくありません。一方で手伝ってもらおうと思えるときもあります。つまり子供もそう思えるときもあるということです。
バランスがとれて伝わる
僕が大切にしていることがあります。それは偏らないことです。
親でも子どもでも、絶対に偏ります。ちょうどいいぐらいという状態で人と関わり続けることは本当に難しいです。
「自分 < 相手」の人は、相手の言うことを忍耐して聞くことができます。一方で「自分 > 相手」の人は、自分の言うことを忍耐できません。関係のバランスが取れているともいえますが、偏りすぎると我慢していることになります。
親子では、どちらかというと「子供 < 親」になりがちです。親は、子供に言いやすい立場です。子供の気持ちも感情も聞いてあげられず、自分の親の思いがどうしても優先されてしまう。これはパートナーとの関係も同じです。
偏りがない関係は、とてもつながりやすいです。喧嘩してもすぐに仲直りできます。素直に相手に謝れます。そして相手の状態をみて、言いたいこともいうけども、自分中心に接しない、待つときは待つ。すると相手も安心して、状態がよくなったときに謝ってくれたりもします。
男だとか女だとか、親だとか子供だとか、年上年下で立場が偏らなければウザがられず、相手からも見せかけでない敬意を払われます。
僕はそれを家庭から実現していきたいと思っています。