躾ってなんだろう?

躾けって、大切ですよね。

たぶん、そう、

大事なんだと思います。

「親の義務であり、子どもにとって、利益をもたらすためもの」です。


・第820条(監護及び教育の権利義務)

親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。

・第822条(懲戒)

親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内でその子を懲戒することができる。

民法

躾けの基準はここにあります。
でも、具体的じゃあ、ないんですよね。
ゆだねられてるカンジです。

校則の基準ってしってますか?

高校のときのことです。
生徒会の役員をしていて、校則についての先生側との協議がありました。
それは生徒の髪の色についての話し合いでした。

先生と話しているとしばしば、
「学校周辺の地域の人にとってどう映るのか?」
ということばが出てくるのです。

ペーペーの役員の僕は、
遠慮もせずに質問しました。

「周りの地域の人たちの反応で校則決めてるんですか?」

先生は、毅然として答えてくれました、「そうだ」と。
それ以外の要素はないといった感じで、きっぱりと。

高校生の自分は、「はあ?」と呆気にとられました。
とても残念な気持ちになったことを鮮明に覚えています。

校則の基準でさえ、周辺の集団の評価です。
そこには哲学もなにも、ないんです。
週刊誌が扱う噂話とそう変らないものが基準だとは…

ちなみに日本有数の東大進学率を誇る私立麻布学園には、
たった一つの校則があるそうです。
それは「下駄を履いてくるな」…なぜならうるさいから、とのこと。
個性的で自由な校風で、 制服なし、髪の色も、服装も自由だそうです。

同じ日本ですよ。びっくりしません?

規則というのは、それほどあいまいなのかもしれません。
週刊誌の噂話みたいなところに成り立つのが、
あなたの知っている躾なのかもしれません。

目くじらを立てて怒るようなことではないのかもしれません。
わかっていても、僕も目くじら立ててしまいがちですが (^▽^;)

真面目に躾を考えると

・同一文化圏における共通するマナー(TPOの切り替え)
・自己中心的でなく、調和を保つ(発言と行動)
・自分と他者の尊厳についての考え方(認識)

重複してそうですが、
こんなカンジですよね、躾って。
でも、こういうことも民法には書かれていません。
それは権力で人を縛らないためなんだと思います。

ちょっと胸に手を当てて、
目をつむって、
立ち止まって考えてみてほしいんです。

・親から、何が躾けかを学びましたか?
・学校から、国から教わりましたか?
・家訓があって、その意味を教わる機会がありましたか?

それとも…
「手あたり次第に叱っている」ほうがしっくりきたりします ( ̄∇ ̄*)ゞ

躾は「誰のため」にある?

「約束を守ることは大切。」とはいえ、
世の中には守らない人は結構います。

それは社会に出ればわかることです。
約束を守らない人でも、家庭も築けるし、出世もできます。おカネも稼げます。
嘘つきでも使い分けがうまければ、世渡りできます。これが現実です。

逆に、約束を守ってても、社会になじめない人だっています。

では、なんのために躾けるの?

こうなると躾というのは、法律と同じものだと感じられます。
「権力をもった人間が暴力を振るわないため」にある。
ちゃんと約束を守り、人との調和を保ち、誠実に生きる人を守るため、
これが本来の躾(ルール)なのかもしれません。

まじめな子には、手の抜き方を教えろ

どうすれば子どもの利益につながるのか?
ふたたび考えてほしいのです。

Q:約束をわりとまもるタイプに「守れ」といえば、
A:100%中、80%以上は守るでしょう。

Q:約束をほとんど守らないタイプに「守れ」といえば、
A:100%中、20%守るかなぁ? うーん。という印象です。

前者のタイプには、それを言っては苦しいだけ
でも、後者のタイプには、わりとしっかり言ったほうがいい。

兄弟で性格が違ったり、集団でタイプが違う場合、
それをみきわめないと、結果として苦しむ人がでてきます。
「守って」いる子は、不満をためていきます。

そういう子には「柔軟性」や「したたかさ」、
「世の中テキトーにわたるすべ」を教えることが「利益」です。

だから、学校や社会での規則は、
「守らない」タイプの子を整えるためのものでもあるんですよね。

だから「守る」タイプの子はほっておいても、問題ないのです。

自然体でのシンプルな躾を

僕の意見としては、「躾けは必要」という前提に立ってますが、
それが現実社会で子供を苦しめるのか、それとも利益になるのか、
それは実はわからないんです。

躾けは、民法の「子供の利益と監護」が基準です。
聖書のように明確な行動基準があるなら、何を教えるか明快ですが、
自由を保障する民法には、そんな詳細なものはありません。

学校の道徳があるじゃないか!? と思われるかもしれません。

いやいや、そうなんです。
あるんですけれど、こちらもわりと「変化」している。

…かつて小学校の道徳では、思想家が取り上げられていました。
上杉鷹山、吉田松陰とかです。

では、今の道徳の本にはだれが選ばれているのかといえば、
プロのアスリート、漫画家など、努力して成功した人を取り上げています。

時代が違えば、教える内容がずいぶんと違うんですよね。
「もとめられる人間像」が違うということです。

だから親が叱るときは、どこかで聞いた、
かじったルールでしばらないほうがいいのではないかと思います。
あなたの躾もすぐに移ろっていくかもしれないのです。

あくまでも、自分が嫌いなことだから、やめてほしい。
これがシンプルな躾だと思います。

そして親と子どもは違う生き物であって、
「別の人は、あなたの考え方を受け入れる可能性がある」ことも、
子どもに知らせることがいいんじゃないでしょうか。
僕はそうしています。

これがもっとも「親として苦しくない自然な躾け」ではないでしょうか。
これがもっとも長く子供と付き合うことになるであろう、
親の真実の願いだと思うのです。

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