人参で釣ると、子どもが貧乏になる?

そんなんだと、サンタさんが来てくれない

〇〇やったら、〇〇してもいい

買ってあげるから〇〇して


よく聞くフレーズだと思いませんか?
でも、これ使い方を間違うと、子どもが貧乏マインドになります。

人参を目の前に釣られると、つい…動いてしまう。

人にコントロールされるマインドになりやすい、ということです。

どう扱うかがとても大事。

何があっても、どんなに言うことを聞かなくても、
親はいつも自分を認めてくれる。愛してくれる。
この前提がしっかり伝わっていれば、
何を言おうと問題ありません。

何で釣ろうがどうしようが、子どもはすくすく育ちます。

これは「あり方」といわれるものです。
もっとも豊かな人生の基礎となる
「無条件」の承認です。

怖いのは、これを子供が間違ってとらえて、
親の評価を得るための条件になってしまうことです。

「いうこと聞かないと、僕のこと、すきじゃないんだ」

こうなると、親の顔色をみるようになるからです。
こんなに悲しいことはありません。

これを会社でたとえると、いつ首を切られるかと
いつも周りの目、周りの評価を気にして、
無難に、おとなしく仕事しているようなものです。
自分の意思は脇に置き、だまってコントロールされます。

こういう人をみるのはとても、悲しい。

親は法であり、神なのだ。

かつて高度経済成長期のことです。
家族的経営のいいところは、この愛が会社にあったことです。
気に入らない上司、言うこと聞かない部下がいても、
終身雇用は、安心できたんです。
定年まで、安心だからです。

そしてもうひとつの例が、正社員という制度です。
ダメ社員でも、能力が低くても、クビを切られない。
法律に守られているから、安心なんです。

同じように、親は法なんです
どんなに世間という怪物が立ちはだかっても、
親という法が、自分の存在を認めてくれる。


否定されても、大丈夫なんだ
また挑戦すればいいできる! と思える
そのマインドを生みます。

これが顕著なのが、一神教です。
キリスト教をやっていたので、わかります。

聖書には、あなたがたは、父なる神の子だから、

「これこれ、こういうことができた」
「これこれ、できる」
「これこれ、するであろう」

という記事がやたらとあります。

これをお母さんは、たっぷり言ってあげることです。

あなたは、私たちの子だから〇〇できる
あなたは、私たちの子だから〇〇やれる
なぜなら、愛してるから。

「自覚」なんですよ。行動に影響を与えるのは、
「自覚」があると、可能性が変わります。

実際僕も、この自覚がすくなくともあったから、
誰も挑戦しなかった営業先(宮内庁)を開拓したり、
当時誰もやろうとしなかった、 顧客へのメルマガ送信とか、
社内最年少の講師に手を挙げるとかできたわけです。

「〇〇するなら、〇〇して」という条件つきの報酬から、

「〇〇だから、〇〇できるはずだ」という可能性思考になるからです。

これが法や、契約のもつ力です。
前提があるから、安心して、さらに上をめざすことができる。

ユダヤ人にノーベル賞受賞者が多いのは、これが原因です。

社会的な成功の影に

実は、愛がなくても挑戦する人もいます。
こういうタイプもみてきました。

親子関係が悪いと、
親の代わりに、社会から評価を得たいと頑張るタイプです。
信頼されるし、一生懸命だし、努力家だし、
すごいエネルギーがあります。

実際に「社会的に」成功している人も知っています。
しかし、その人は、あまり幸せそうではありませんでした。
僕にこういってきました。

「なあ、よっしー。僕、人生なにが幸せなのかわからない」

若くして成功して、すごい、と見えるんです。
結婚もしてるんです。
でも、なあー。と思ってしまう。

彼の生い立ちを少し知っているだけに、
将来の彼の人生を思うと、親から欲しい愛情を、
世間からもらうために頑張ってるんだと見えてしまう。

今僕は、田舎に戻り、実家で生活してますが、
親の存在の大きさを、影響の大きさを感じます。
ちょっとした発言に、子供は影響を感じるのです。

キスもそうですが、
子供を認め評価することばって、はずかしいものです。
「いわせるなよ」
と思うことばこそ、言いたくないからこそ、
そこにエネルギーがつまってるんだと思います。

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