学校のいじめのなくし方

「悪気はなかった」


教師いじめの加害者のことばです。
いじめの加害者って、この言葉をよく使います。
調査機関は、「子供のいじめと一緒」という見解を示しました。


教師の激辛カレーにせよ、暴言にせよ、
大人になった分、直接的な証拠となる暴力には訴えなません。
明らかにアウトなことはせずに、証拠に残りにくいことをする。
いやらしいな・・・

「いじる」とは


「いじっていただけだ」
加害者の先生は言っているようです。

このいじる、ということば、漢字では「弄る」と書きます。
「弄(もてあそ)ぶ」とも書きます。
学校の先生なら知っているはずです。

弄ぶということばの、どこにいい響きがあるでしょうか。

「弄」のなりたちは、
「玉を両手で遊んでいる」という意味です。
つまり実は、人扱いしていないんですよ。

このことに気づかれたほうがいい。

そしてもう一つ、「びっくりさせたかった」ということば、
“被害者にそう思わせたい”のではなく、
相手がそうしたのが“みたい”だけです。


子供と一緒です。
こんなの逃げるためのことばです。
大人になっても、人は本質はかわりません。


自分自身、老人クラブのお仕事をしていたので、
どれだけ人が年齢を重ねても、
人は本質は子供のころのままだということを
実感して知っています。


結局のところ、いじめというのは、
加害者「相手の気持ちより、自分の気持ちを優先させる」
被害者「自分の気持ちより、相手の気持ちを優先させる」
この2つが生み出します。

大人も子供も、同じ約束をすればいい

これは僕がむかしから提言していることです。

1.いじめのためのチェック機能としての内部・外部組織をつくる。
2.被害者が3回まで申し立てたら、内部組織が介入して処断する。
3.内部組織が機能しなければ、第三者である外部組織に申し入れる。


これがあれば、いじめは激減します。
子供も大人も一緒です。


警察が道交法を取り締まるのと一緒です。
これがあれば、安心できるし、警戒させることもできます。
そして違反があれば、


・子供の場合は、親同伴で謝罪、そのことを校内で公表
・社会人の場合は、評価があるので人事に影響


社会的な評価をあたえればいいだけです。


もともと僕は声を上げられない人間でした。
子供のとき、かなり長い間、回数的にもいじめられたことがあります。
だから言えない人の気持ちがとてもよく、わかります。


自分が社会に出て、ある会社でわりと年齢高めな方からの
陰湿なアプローチがありました。

いい加減、鼻についたので、自分の上司と相手の上司に掛け合って、
相手と自分も含め4人で話し合う機会を設けるよう催促しました。

そこで相手から出てきたのは、
おきまりの「そんなつもりはなかった」ということばでした。
そして、この介入の後、ぴたりと相手のアプローチはなくなりました。

社会は楽だなと感じます。


前々から僕は思います。
社会人のほうが学生の頃よりもよほど気楽だと。


子供の場合、校則をやぶっても、
自分の社会的評価にはそれほど影響しません。

しかし、社会人で約束を守らないことは、社会的な死を意味します。
人を弄ることより、評価が大切だからです。


社会に出てから気づかされました。
社会人を相手にするのはよほど気楽です。
まず、そこを超えてくる人はいないのですから。

超えてきたら、しかるべき対処をする
そしたらカンタンに引き下がる。



子供にも内申点への影響、各種調査書への記入義務付けなど、
その子の将来に影響させる処置をすればいいだけです。

子供にも社会的な約束をさせるんです。

そのうえで、どうしても人を弄りたいのなら、
やればいいのです。

よほど悪い意味での「家族的」な組織でないかぎり、
よほど悪い意味での「田舎集落的」組織でないかぎり、
人は社会的な評価がもたらす評価が怖いのです。


だからこそ、
言われるがままにならないために、
個人として声をあげる能力を学ぶことが大切です。

ぜひ、この機会に
声をあげる方法を学ばれるといいなと思います。

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