「ごめん」を言える親

「ごめんって言ってよ!」

理由のない要求に、反発したくなります!
あなたのためを思って言ってるのに。

・・・

たとえ自分は、間違っていなくても、
「ごめん」はあり。という記事です。

今回は、子育て法則の話です。
親があやまることができない、新聞の記事からです。

「私を責める50代長男」

80代主婦…長男は結婚し高校生の娘がいます。…時々やってきて「小さな頃に親からいじめられた」「親らしいことを何もしてもらっていない」と私を事細かに責めるのです。…親としては幸せを感じさせてあげられなかったことに心が痛みますが、長男に向き合い「ごめんね」といったことはありません。長男の心を軽くする方法がないものかと思っています。

2020年2 月1日、読売新聞「人生案内」(抜粋)

もう、ほんとびっくりです!
自覚があるのに、できてない。

言ってなければ、言えばいいのに!

それは「ごめんなさい」ではない

もしかして親が誤ってはいけない、という勝手な先入観、ありません?
無意識にです。
それはまるで支配者は頭を下げてはいけない、
とでもいうようなものです。

なぜ、子どもには「ごめんなさいでしょ」「ちゃんと誤って」と
いえるのに、自分はなかなかできないのでしょう?

もしかしたら、家庭から一歩出て、社会の人に対しては、
ちょっとしたことで「すみません」「申し訳ありません」と
言ってませんか?

それは「ごめんなさい」ではないからです。
「対処」「処理」・・・カタカタカタカタ、ッターン!
パソコンのキーを打っているにすぎません。

その場での自分のメリットのために「処理」しているだけです。
デメリットが生じないための保身の行為です。
「忸怩たる思いです」などと言われても、
こころに響いてジーンときたことがありません。
あやまる「役割」だから、言っているだけにすぎません。

沽券という不安

でも、親密な家族という関係だと、
「ごめん」といってしまうと、
それで関係性に優劣が生じると思ったりしていませんか?

それはまるで、企業の社長が、取締役レベルの人に、
「ごめんなさい」がいえないのと同じです。

その原因は、自分への不安です。
自分が弱いところを見せれば、今の秩序が壊れると
思い込んでいる。


逆に、会社で社長があやまることが容易な相手は誰でしょう?
新入社員です。彼らは自分にとって脅威ではない、
だから安心して、しかも胸襟を開いて接することができる。
それはかわいく気楽な相手です。
どう思われても、怖くないからです。

沽券というのは、証明書という意味ですが、
あやまることで証明書の価値が落ちるなんて、
「品質にごまかしがある」と言ってるようなものです。

だから正面から向き合えず、避ける。
処理することもできず、だらだらと問題を先のばす。
結果、知らないところで、問題は雪だるま式に膨らみます。

たった一言でいいんです。

「ごめんね」
「わるかったね」
「そんなつもりはなかったんだけど、
 ずっと苦しい思いをさせて、ごめん」

それが子供の人生を救います。
新聞の記事にあるように、80歳になってから
子どもから責められることもないのです。
当時は子供だった、息子から…

そしてそれが、結局、あなたの人生を救います。

恋愛も組織も家族も、ひととひと

守ろうとすればするほど、すがればすがるほど、
引き止めれば引き止めるほど、離れ、失います。

恋愛もそう、欲しければほしいほど、
好きになれば好きになるほど、
執着すればするほど、手に入らない。

そういう法則って、あるんですよね。

・・・・・・・・・・
まとめです。

自分は、間違っていなくても、
子どもが誤解することはあります。

そりゃ、子どもだもの。大人の理解とはちがうし、狭いんです。
そのつもりはなくても、傷つけていることはあります。

だから「誤解」させたことに「ごめん」はいうことは、あり。
何ら自己卑下することでも、沽券が失われることもない。
というお話でした。

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