たったひとつの親のおしごと



自立させたい
自立すべきだ
依存してはいけない

…そう思いますか?


自立しろ、ということは簡単ですし、
親はみんなそうさせたいと思います。
なんの不思議もない、
自然だとおもわれる発想・・・

それを思うのは、
そう思うようになったのは、
どうしてでしょう (* ̄∇ ̄*)

・他人に迷惑かける?
・他人にダメな親だと思われる?
・子どもが社会からのけ者にされないため?
・世間体がわるい?
・親が迷惑しないため?
・親が楽して暮らすため?
・それとも、子どもが社会貢献するため?

そもそも子供を自立させるべき理由、
それはなんの、ためでしょう。

誰もが奴隷である

「人は何かの奴隷である」
これは何度もキリスト教の牧師さんが
教えてくれました。

「お釈迦様や弥勒菩薩も彼の奴隷である」
禅では、こんなこともいわれたりします。

自立だ、自立だといっても、
人は何かに依存してしまう。
そういう生き物です。

そしてこれは“ありんこ”でも、
犬でも猫でも、オオカミでも
同じでしょう (‘-‘*)

何かを頼り、何かを奪って生きている。
それを自分がするか、誰かに頼るか。

そういう意味では真の意味での
自立などありえないでしょう。


でも辞書には、こうあります。

他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。

小学館デジタル大辞泉

他の助けや支配なしに自分一人の力だけで物事を行うこと。ひとりだち。独立。

大辞林 第三版

従属や、支配、
そこから独り立ちすることが、
自立というものらしいです。

安いコーヒーを飲みながら



従属、支配・・・
耳にとくべつな響きがありますよね。

今、日本国内に奴隷はいませんが、
国外には奴隷は存在します。

オーストラリアの人権団体
Walk Free Foundationによると、
2016年では、世界で約4600万人が、
「奴隷状態」だとされています。

僕らが安く飲めるコーヒーも
彼らの「おかげ」です。

そんな奴隷状態の方々に
僕らは「依存」しています。

そのうえでぼくらは、
自立自立と叫んでいます。


いろいろ考えちゃうでしょ。

オトナだって依存している

企業で働く人は、組織に従属しています。
ともに助け、助けられるものです。
この社会そのものが、
他を助け、他から助けられての分業制です。
その橋渡しが経済活動と呼ばれます。

すべての人が悩みます。
精神的にも、影響を受けたり、与えたり、
相談をしたり、話を聞いたりしますよね。

何かを知りたいときにも、
情報をインターネットで調べたり、
逆に自分の知っていることを伝えたり。

はい。すべて相互依存です ( ̄(エ) ̄)ノ

・お金に依存
・仕事に依存
・社会保障制度に依存
・結婚に依存
・趣味に依存
・コーヒーの安さに依存

そこに経済活動や、
ちいさいながらも組織活動があります。
すべて相互依存です。

現実的な課題解決のちから

親が望む自立って、
たいていは (o ̄∇ ̄)/

・精神的な自立・・・親離れ
・経済的な自立・・・仕事につくこと

文科省的でいえばこうです。

・社会的自立・・・自律生活できる能力
・職業的自立・・・収入を得る能力

ここからみるに大事なことは、
“自分で自分のことは対処できること”
ではないでしょうか。

自分で生きる方法をみつけること。
取捨選択の判断を自分ですること。

 思い浮かんだのは、
 鬼滅の刃で冨岡義勇がいうところの
 「生殺与奪の権を他人に握らせるな」

他人にゆだねないで、
自分で主体的に反応する能力、

これを「自己責任」といいます。

責任とは(responsibility)つまり
「反応できる能力」です。

問題を起こしたら「やめること」
ではありません。

それは責任放棄です。

課題にそれだけのリソースをもって
応えられる、その用意がある
ということです。

課題のために自分は何ができるか、
なにを、誰を頼り、
現実的に問題解決ができること。

選択肢を知り、
つかむ能力こそが、
自立なのではないのでしょうか。


自立は英語で
self‐reliance ともいいます。
自分に依存するという意味です。
自分を信頼する、
自分を頼りにする・・・

どういう自分だから信頼できるのか
どういう自分だから頼りになるのか

どういう自分だと、
現実的に課題解決できるのか?


そう、子どもの自立とは・・・

そういう人間性をつくる

ということ、なのではないでしょうか。

たったひとつの親のおしごと

つぎのことばを教会時代にさんざん聞かされました。

親の仕事は子供の自尊心をはぐくむこと
 それ以外は存在しない

唯一、親にしかできない、
親だからこそできる、
親専門のおしごとです。

これが人格の土台になります。

他人にどう思われているのか
が大事なのではなく、

自分がどう思っているのか、
これがとても大事なのです。


親を含めた
「他人」を気にして生きる人生か、

それとも自分だからできるという
「自分」を気にして生きる人生か。

この意識はまったく違う世界観を
描き出します。

多くの人がきっと後者を
選ぶでしょう。

そう、選びたいのです。

・いくらおカネがあっても、
 人に嫌われれば孤独です。

・いくら人脈があっても、
 助けを願わないと、助けてくれません。

・いくら権威があっても、
 信頼がなければ、無視されます。

人はだれか頼る人が必要なのです。

・頼ってもいい自分
・頼っても聞く耳をもってくれるだけの自分
・だからなんとかなる自分

この土台をはぐくむこと。
親専門のお仕事です。

最後に、「依存の解説」を抜粋でご紹介して、お別れです。

・・・人間の赤ん坊は、ほかの動物に比べてはるかに未成熟の状態で生まれるため、長い期間にわたって独力で生きていくことができず、周囲の大人、とくに母親からの扶養に頼らなければならない・・・全面的な依存から出発した人間の成長した姿は、「ひとり立ち」ではなく、必要に応じ状況に応じて、お互いに依存しあう相互依存の状態である。[辻 正三]

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

いやぁ、 (* ̄・ ̄)。
子育てって、すばらしいですね。

ぜひ今日から、
子どもさんとの付き合い方で、
考えて接してください。

そこに「それが」あるのかと。

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