怒るのがあたりまえだった人が怒らなくなるには、いままでとは真逆の考え方が必要です。①反応している自分を冷静に見つめる、②感情を受け止める、③ときめく感情を選ぶ、そうすれば今よりもはるかに、怒らなくて済みます。今回お伝えするのは、とても変わった考え方です🧐
口に出す言葉は、ときめく感情だけ
ときめく感情だけを口に出します。近藤真理恵さんの考え方の応用です。
感情に飲まれずに、感情を制御して、行動できるようになると、余計な衝突がなくなり、エネルギーの浪費が少ななくなります。
おもてに出す感情を自由に選択できるようになります。別の言い方をすると、感情表現を気分に任せないことです。気分にまかせていってしまうと、失敗することのほうが多いです。これができると周りの空気に流されることも減ります。
大切なのは、自分は本当はどうしたいのか? ということです。
✅心を部屋として捉えてみる
意識的に、まず自分の心の内側を覗くことです。どんな部屋になっているかを見渡します。いろんなもの(…ここでは感情ですが)が転がっています。どれを残したいか、どれを捨てたいかなのです。
子供が嫌なことしたとき、心の中を見渡して目に付くのは、怒り、悲しみ、不安などの嫌な感情です。汚いものほど嫌なものほど目につきます。でなんとかしたいのもこの感情です。よくわかりますよね。ただ、掃除するのは自分です。
子供への否定的な感情の嵐のさなかで、ほんとうは〇〇したい、こうなってほしい、そうであればいいなという願望、欲求があります。これは実は、喜びに属する感情です。これに気づくためにも立ち止まって考えることです。
心という部屋が知っちゃかめっちゃかになってても、お掃除するのは子供じゃないのです。掃除は自分、怒るのはその部屋に文句をいうようなものです。
なすべきは怒りより、願いです。僕も願いをぶつけたいと思います。
ときめく感情を選ぶ「練習」
ときめきというものは、わかりにくいんです。
体の反応です。触った印象がまるで違う。体が反応する。あと強烈にそれが目に飛び込んでくる。などありますが、基本理屈よりも印象です。
近藤真理恵さんのご著書「人生がときめく片づけの魔法」では、「一つひとつ手に取って触れてみること」「持っていて幸せかどうか」「持っていて心がときめくかどうか」が基準だと言われています。
はっきり言って、マジで最初はさっぱりわからない感覚です。僕も服から初めて、心の中まで選別することに気づくまで5年かかってます。
✅ときめくものを探す練習
こんまりさんもおっしゃるとおり、まずは自分の服からはじめてください。ときめく服を残し、そうでない服と別れます。そのあとにモノ、そのあとに本、そして資料、最後に写真という具合です。
やってみるとわかりますが、本当に必要なものは「ごくわずか」しかありません。買うときもときめくものは、そんなホイホイあるものではありません。俯瞰してみると、ものすごい不用品にとらわれていることが分かるはずです。
さて、ここからが僕が提唱することです。この手で触る感覚がかってきたら、つぎは触らずに感じてみることです。すると触ってみたのと同じで、違いがあることに気づきます。実際に触ってみて「やはりそうだ」と確認する、この練習を重ねていきます。
夕食を選ぶにも、お総菜売り場で練習できます。本当に必要なものはそう多くない、そして子供のためにと買った総菜も結局食べなかったりということもわかります。目的地にいくときも、右折と左折どちらがいいか、ほんの少しの違いを感じてみてください。
毎日、なんでもできるだけこういう感覚大切に生きています。
何をいうべきで、いつ口を噤むべきか
これがわかると、あらゆる選択でこれが使えることがわかります。
とくに些細な判断なら、練習のために意欲的にこの判断方法を用いることをお勧めします。
子供とのコミュニケーション、躾、遊び、そのすべてにおいてどう判断すべきかを感じ取ってみてください。
このこんまりさんの判断の仕方は、左脳ではなく、右脳を用いて判断はなされています。つまり過去から自分が蓄積してきた記憶、情報すべて集約して目の前の判断に充てることができるわけです。
結婚など人生を左右する判断で、直観だけで決めるのはダメだという意見もありますが、実は直観で決めたほうがスペックで決めるよりも関係が長続きするらしいです。手元にデータはありませんが、とくに相手の顔をみて相性を判断する脳の機能は鋭敏らしいです。
ちなみに、将棋の羽生さんも将棋で、ここぞというときは直観で指すそうです。
✅選択の可能性を広げる
とくに子育てで大事なのが、いつ、何をいうかということです。子供はいつ聞いてるのか、うわの空なのかなんて、よほどこちらが注視していないとわかりません。であるならば、どんなに「理詰め」の躾をしても疲れるだけということがわかります。
もちろん一貫性はあったほうがいいですが、直観でこのときめく判断で何を言うべきか、言わないでおくべきかを決めるのは、僕はありだと思います。
たとえば子供がyoutubeをみたいとよく言ってきますが、どっちでもいいし、禁止したくもない、と感じたとします。そういうときは素直にそのままいっています。つまり自分で決めてくれということです。
子供が許可をとってくるわけです。(そう教えてもいないのに)このときはじめて、ああ許可をとらないといけないと子供が思っているだな、自分で決めることをさせてみてもいいなぁとおもったものです。
いつもの調子で「OK」「ダメ」といっていたら、自分で考えるということも子供の選択肢にあってもいいことに気づけなかったわけです。このことのおかげで、子供に「自分できめたんだから、自分でやめようね」という新たな選択肢を提示することもできました。
なるほど面白いものだと思ったものです。
口が2つある人
むかし、ある人にいわれたことが印象にのこっています。
「口が二つある人がいる」ということです。
どういう人かというと、余計なことを言ってしまう人です。いわなくてもいいことを言ってしまう人、思ってもないのに口走って関係を壊す人です。
こういう人はもともとよくしゃべる人です(循環気質)。嘘をつくことは処世術程度のことだと思っていて、少々失礼なことでも笑って許されると思っている、そういうタイプです。面白い人ではあるのですが、これが親だったり家族だったりするとちょっと嫌です。
こういう人におすすめなのが、ときめく感情を選ぶことです。簡単に何かを言ってしまう、反応してしまうのではなく、一度考える時間をおいて、自分の内面を吟味して言葉に出す訓練をしたほうがいい、そう思います。
さあ、まずは服から触ってときめくかどうか、はじめてみませんか?