本当はみんな休みたい

新型コロナで診断を受けたい人の
声をきいていると、
みんな休む保証がほしいのだろうなと
感じてしまう。

風邪ぐらいでは休めない
迷惑がかかる
立場が悪くなる


だから証拠がほしい
休む証拠がほしい
安心の証拠がほしい


証明さえされれば、
大手をふって休むことができる
安心して休める


それほどギュウギュウ詰めにされているココロ


本当は、やすみたいし
面倒みてもらいたい
甘えさせてほしい

でも、
でも、
といって、がんばって
否定的になり

結果、その怒りは
本来の相手にではなく、
近くの相手に向かう

これではとばっちりじゃないか。

休んでもいい
それぐらい、
いいんじゃないか。

世の中は、バランスと
調和があるとおもう


割れ鍋にも綴蓋はある


必要はみたされる
最悪、会社をやめても何とかなる

昨今のマスクの購入騒ぎをみていても思う。

僕は花粉症だけど、
少し前にひと箱かったままだ。

もう半分ぐらいに減った。
手に入れたいなという気もちはある。

だけどまだ買う気はない。
きっと買うべき時には変えるからだ。

“今、買わないとなくなる”

なんて買い方はしない。

一言でいえば焦りすぎなんだ。
不安だから、急いでしまう。
目の前ではなく、先のことが気になる。

かくいう僕も不安がり。
だからそうなる気持ちがよくわかる。


だから殺到してしまっている
日本人は不安がりが多いから。

でも、だからこそ、
わざと買わない。

きっと落ち着くから。
だって、まだ少しあるんだし。

だから休んでも大丈夫。
なんとかなるし、
なんとかならないなら、
それまでのものでしかない。

それでもなんとかなる。
その方法はある。

今日、あなたは大変なのに
未来の不確かな保証のために、
今の自分を無下にして生きてないのだろうか。

その結果、自分と家族を攻撃にするような
いきかたになっていないだろうか

理想の幸せを追うばかりに
地に足のついた幸せを
無視してしまっているのではないのか。

もしそう思うのなら
未来ばかりを心配せずに
今の足もとの幸せを大切にする
そういう生き方がとても大切なのだ。

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