

怒りに身を任せると、わかっていても怒りのスイッチを止めにくいことがありませんか? つまりそんなに怒らなくてもいいわけです。必要なのは神様の視点、ゲームでよくある後ろからキャラクターを見る三人称視点です。自分の意識と距離を取り、客観的に見つめると冷静になることができます🧐
神の視点で自分を見る

自分を後ろから、または真上から見下ろす感覚です。
イライラしたら立ち止まることです。思考をストップさせて、意識を目の前の喧騒から切り離して、どう判断、行動すればいいのか考えてください。思考の中断です。
聖書の詩編にセラという言葉があります。中断するという意味です。いわゆる讃美歌にあたる文書ですが、その節々で登場するのが中断という言葉です。読点的な意味ですが、本来の意味は解明されていません。
しかし、この立ち止まって考えるということこそ、頭のなかがしっちゃかめっちゃかになっているときに役立ちます。没頭しすぎるのではなく、一度、思考をとどめることは、家庭環境を維持するうえでも有益な考え方だと思います。
✅ときめく感情を選ぶ
ときめかない感情は捨て去ることです。「人生がときめく片づけの魔法」の近藤真理恵さんがいう、ものの選び方を考え方に応用することです。
中断して考えるべきは、どんな感情を選択するかということです。どんな判断をすることがいいのか、選ぶことです。もっとも「これだ」と思える感情、そのとき選択する感情は、多くの場合、怒りは選ばれないでしょう
中断すればその怒りはどこから来ているか、たとえば見捨てられて寂しい、ないがしろにされて悲しい、継続する苦しみは寂しさからきていたとか、そういうことに気づくとイライラ、反発したり、怒鳴るみたいな選択はしなくなります。
立ち止まって考え、思考を一旦中断すると別のことを考えられるようになります。子供やパートナーを怒るようなことにはなりにくいわけです。
僕がこの考え方をしてなければ、きっと毎日怒鳴っているだろうと思います💦
子供とつながりたい、分かり合いたい親

こだわってしまう人、なんとか解決したい気質の人はちょっと大変です。
執着を手放すことです。捨てることと似ています。不安を手放すということです。なくても大丈夫、そういう判断です。
ない、と思うから、手に入れるために頑張ってしまいます。時間をかけてねちねちするのは、自分が納得したいからです。子供にわかってほしい、それは自分への「愛」がほしいということです。
子供やパートナーとの信頼があれば、本来は何も言わなくていいのかもしれません。もしかすると叱りたいわけでも、注意したいわけでもない、ただ自分が納得、確認したいだけなのかもしれません。
僕も不安だと、何度も何度も確認してしまいたくなるんですよね。
✅短時間、簡潔でいい
立ち止まって考えて、ああ自分は不安なんだなと感じて、子供をなんとかしたい(うまくいってない)、本当は相手を信じたい(でも信じられない)とわかれば、必要以上になんとかしないことです。
子供の気になることをぱっと指摘したら、そのままほっておくことです。深追いしないことです。言うべきことは言ったほうがいいのですが、10分以上お説教するのは、理解させること、されることに執着しすぎです。
子供もうんざりで眠くなります。指摘は簡潔にわかりやすく、最小限で十分です。いつも気になることはパターンがあると思います。それを事前から準備しておきましょう。100回は言わないと理解しないのが子供です。
考えるのが面倒な子供と、ヒートアップする親子

とても大切なことなのですが、親のお説教が必要ないことがあります。
親が自分に何を望んでいるかを、子供はすでに理解していることもおおいです。何度も指摘されているからです。
叱りたい欲求にかられたときは、まず立ち止まって考えてます。明らかに子供の反応が強くなるであろうと推測できれば、それ以上は放置しておくことです。そのままつづければ双方の感情が悪化するのが目に見えています。
切り替えです。後述しますが、これはとても有意義です。
✅クールダウンしてからだと効率的
しばらく子供と距離をとり、子供がクールダウンしてから話しかけることです。そうすれば驚くほど、話しやすくなります。すんなりわかってくれる、分かり合えることはとても多いです。
立ち止まらず、いつものパターンで反応しまうと、最悪、決裂します。ヒートアップしてしまったら、まず子供の感情を受け止めなければなりません、自分の気持ちも制御しつつからの話し合いとなります、そしてきっとまた繰り返します。労多くして功少なしです。
それに比べ、子供が一旦クールダウンしてからだと、子供の感情を受け止める必要がありません。これは親にとってもとても楽です。指摘したいポイントだけ話せばよくなるので時短になります。
ただ時間があくと覚えてません。10~15分ぐらいしたら話しかけてみてください。自分だけ待つのは嫌なものです。逆説的ですが、急がば回れです。待てば、より早く効率的に結果を出せます。
指摘したいだけに、クールダウンを待つ間、親はたまらない気持ちにもなります。でも結果として待つ価値を実感できるので、だんだん待つことができるようになります。
待つことはあらゆる分野で有意義

聖書に「約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」と書かれています。これは子育てするようになってから、ほんとによく思い出す言葉です。
待つことは、とても大切です。とくに循環気質(下記記事参照)、焦りがちで、スピーディーなタイプであればあるほど拙速です。つまりあまり考えない、短慮で行動してしまっています。
待つこと、考えるために立ち止まることは、あらゆる分野で応用がききます。怒ってしまうことにはじまり、パートナーとの言い合いを避けること、また勉強や仕事に手を付けることなども、この立ち止まって考えることがきっかけです。
また、情報化社会にあって、簡単に偽の情報、フェイクニュースに踊らされないということでも有意義です。高齢者も詐欺にかからないために、目の前の感情に踊らされない、一旦中断して意識を切り替えることができれば未然に防げます。
いろんな依存行動をストップさせるためにも、この待つということがとても有効です。これを子供の頃からできるようになると、本当に人生で役にたつと思います。
親と子で、日常的に待つことを学ぶ機会を持つことをお勧めします。